吉田玉市(読み)ヨシダ タマイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田玉市」の解説

吉田 玉市
ヨシダ タマイチ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

本名
名淵 富弥

別名
前名=桐竹 富十郎

生年月日
明治27年 2月6日

出生地
宮崎県

経歴
明治38年桐竹門治(5代目門造)に勧められて淡路の人形座に入った。大正2年大阪に出て3代目吉田玉造の門に入り、桐竹富十郎の名で近松座に出た。6年竹豊座に移り吉田辰十郎、7年2代目吉田玉松(4代目玉造)に入門、10年玉市と改名。12年師に従い御霊文楽座に入り、昭和17年人形頭取となった。「河庄」の孫右衛門、「阿古屋」の重忠など、初代吉田栄三の左遣いで修業した堅実で枯淡な味を出した。23年2派分裂では因会に属し、故実に通じたワキ役として活躍した。

没年月日
昭和40年 5月6日 (1965年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田玉市」の解説

吉田 玉市
ヨシダ タマイチ

明治〜昭和期の文楽人形遣い



生年
明治27(1894)年2月6日

没年
昭和40(1965)年5月6日

出生地
宮崎県

本名
名淵 富弥

別名
前名=桐竹 富十郎

経歴
明治38年桐竹門治(5代目門造)に勧められて淡路の人形座に入った。大正2年大阪に出て3代目吉田玉造の門に入り、桐竹富十郎の名で近松座に出た。6年竹豊座に移り吉田辰十郎、7年2代目吉田玉松(4代目玉造)に入門、10年玉市と改名。12年師に従い御霊文楽座に入り、昭和17年人形頭取となった。「河庄」の孫右衛門、「阿古屋」の重忠など、初代吉田栄三の左遣いで修業した堅実で枯淡な味を出した。23年2派分裂では因会に属し、故実に通じたワキ役として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田玉市」の解説

吉田玉市(2代) よしだ-たまいち

1894-1965 明治-昭和時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
明治27年2月6日生まれ。淡路(あわじ)の人形座をへて,大正2年大阪で3代吉田玉造に,7年2代吉田玉松(4代玉造)に入門。10年2代玉市を襲名。昭和12年御霊文楽座にはいり,17年人形頭取となった。昭和40年5月6日死去。71歳。宮崎県出身。本名は名淵富弥。前名は桐竹富十郎,吉田辰十郎。

吉田玉市(初代) よしだ-たまいち

吉田玉造(よしだ-たまぞう)(4代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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