吉田玉造(読み)よしだたまぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田玉造」の意味・わかりやすい解説

吉田玉造
よしだたまぞう

文楽(ぶんらく)人形遣い

山田庄一]

初世

(1829―1905)本名吉倉玉造。人形遣いの吉田徳造の次男として大坂に生まれる。11歳で初舞台、玉造を名のる。幕末から明治にかけて浄瑠璃(じょうるり)の3世竹本長門太夫(ながとだゆう)、三味線の2世豊沢(とよざわ)団平とともに三名人と称され、1872年(明治5)松島文楽座の初興行から5世竹本春太夫とともに人形遣いとして初めて紋下(もんした)となった。立役(たちやく)、荒物(あらもの)、道化のほか動物をも得意とし、とくに早替り、宙乗りなどのけれんに長じ人気を集めた。息子の初世玉助に対して通称を親玉という。

[山田庄一]

2世

(1866―1907)本名津田源吉、のちに佐々木熊次郎。9歳で初世玉助に入門、玉七を名のる。師の没後1889年(明治22)2世玉助、さらに1906年(明治39)2世玉造を襲名したが翌年没。温厚な人柄で二枚目女方に長じた。

[山田庄一]

3世

(1860―1926)本名中野卯之助(うのすけ)。大坂生まれ。1878年(明治11)初世玉助に入門、玉松を名のる。1909年(明治42)3世玉造を襲名、のち事情あって玉蔵と改めた。立役、女方ともに優れ気品ある芸であった。

[山田庄一]

4世

(1885―1948)本名林安太郎。3世に入門、玉市から2世玉松、玉蔵を経て1942年(昭和17)4世を襲名。荒物遣いとして活躍した。病に倒れて林蔵と改め、1月26日自殺した。

[山田庄一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「吉田玉造」の意味・わかりやすい解説

吉田玉造 (よしだたまぞう)

文楽人形遣い。(1)初世(1829-1905・文政12-明治38) 本名吉倉玉造。大坂生れ。通称は子どもの玉助と区別して親玉。父は同じ文楽人形遣いの吉田徳造。11歳で初舞台。子役名声を博し長ずるに及んで立役,女方を兼ねた人形遣いの立者(たてもの)として,幕末から明治にかけて名人の誉れ高く,1872年には竹本春太夫(5世)とともに人形遣いで初めて紋下(櫓下(やぐらした))の位置に据えられた(松島文楽座)。地芸はもちろんケレンにもすぐれ《五天竺》などの宙乗りや早替りを得意とした。(2)2世(1866-1907・慶応2-明治40) 本名津田源吉。大坂生れ。初世玉造の子の玉助(初世)に入門,玉七を名のり,2世玉助を経て1889年2世玉造を襲名。おとなしく,二枚目や検非違使ものにすぐれた。(3)3世(1860-1926・万延1-大正15) 本名中野卯之助。大坂生れ。初世玉助に入門,玉松から1909年3世を襲名したが,初世の遺族とのトラブルから,のち玉蔵を名のる。立役,女方ともにすぐれ大正期を代表する名手であった。(4)4世(1885-1948・明治18-昭和23) 本名林安太郎。3世に入門,玉市,玉松を経て1938年玉蔵,42年に4世を襲名。荒物を得意としたが晩年健康を害し,名前を汚すことを恐れて吉田林蔵を名のったが,48年自殺した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉田玉造の言及

【人形浄瑠璃】より

…しかし,84年,群小の人形芝居小屋が合同して,前年の内紛によって文楽座から脱退した三世竹本大隅太夫,二世豊沢団平らを擁し,大阪の中心地船場博労町に彦六座を開場した。一方,文楽座も,同年,小屋を彦六座の近くの船場平野町御霊神社境内に移し,御霊文楽座と名乗って,二世竹本越路大夫(のちの竹本摂津大掾)を中心に七世竹本津太夫,五世豊沢広助,初世吉田玉造,初世桐竹紋十郎らの陣容を整え,これに対抗した。こうして,両座が競合する明治期の大阪人形浄瑠璃の黄金時代が現出する。…

※「吉田玉造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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