吉田顕三(読み)ヨシダ ケンゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉田顕三」の解説

吉田 顕三
ヨシダ ケンゾウ


肩書
衆院議員(中正倶楽部),大阪府立病院長

生年月日
嘉永1年4月8日(1848年)

出身地
広島県山県郡

経歴
漢籍を修め、大阪で医学を学び、京都で西周の塾に入り英学を修めた。明治2年甲鉄艦の医官、以来海陸軍の医務従事。5年英国留学。7年軍医少監となり、次いで軍務局副長、海軍病院長を経て、14年大阪医学校長兼大阪府立病院長。33年の北清事変に際しては赤十字病院船弘済丸医長となり各国の病兵治療に当たった。35年以来衆院議員当選2回。

受賞
フランス・カムホジュ三等勲章

没年月日
大正13年3月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田顕三」の解説

吉田 顕三
ヨシダ ケンゾウ

江戸時代末期〜大正期の医師 衆院議員(中正倶楽部);大阪府立病院長。



生年
嘉永1年4月8日(1848年)

没年
大正13(1924)年3月1日

出身地
広島県山県郡

主な受賞名〔年〕
フランス・カムホジュ三等勲章

経歴
漢籍を修め、大阪で医学を学び、京都で西周の塾に入り英学を修めた。明治2年甲鉄艦の医官、以来海陸軍の医務に従事。5年英国留学。7年軍医少監となり、次いで軍務局副長、海軍病院長を経て、14年大阪医学校長兼大阪府立病院長。33年の北清事変に際しては赤十字病院船弘済丸医長となり各国の病兵治療に当たった。35年以来衆院議員当選2回。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田顕三」の解説

吉田顕三 よしだ-けんぞう

1848-1924 明治-大正時代の医師,政治家
嘉永(かえい)元年4月8日生まれ。海軍にはいり軍医大監にすすみ,海軍病院長などを歴任し,明治14年大阪府立病院長兼医学校長となる。北清事変のときは赤十字社病院船弘済丸医長をつとめた。のち衆議院議員(当選2回,中正倶楽部(クラブ))。大正13年3月1日死去。77歳。安芸(あき)(広島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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