日本歴史地名大系 「吉笹原村」の解説 吉笹原村よしささはらむら 埼玉県:草加市吉笹原村[現在地名]草加市吉町(よしちよう)一―五丁目・手代町(てしろちよう)・高砂(たかさご)一―二丁目・中央(ちゆうおう)一―二丁目・氷川町(ひかわちよう)・松江町(まつえちよう)日光道中草加宿組を構成する一村で、谷古宇(やこう)村・草加宿の南にある。在郷村は往還東に広がり、綾瀬川に至る。北方・南方などに飛地がある。南端の瀬崎(せさき)村境に日光道中の一里塚が置かれた。足立郡谷古田(やこだ)領に属した(風土記稿)。寛永六年(一六二九)検地と伝える(「御水帳之面屋敷書上ケ覚」東京都立中央図書館蔵)。田園簿には吉篠原村と記され、田二五二石余・畑五七石余、ほかに野銭永三八九文。江戸期を通じ幕府領。寛永一〇年九月九日の谷古田筋野検地帳(大川家文書)によれば綾瀬川沿いから南西谷塚(やつか)地域にかけて三九筆の荻野・萱野が計二六町一反余あり、永銭八貫七六六文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by