日本歴史地名大系 「吉舎村」の解説 吉舎村きさむら 広島県:双三郡吉舎町吉舎村[現在地名]吉舎町吉舎馬洗(ばせん)川の形成した沖積平地と、東の世羅郡宇賀(うが)村(現甲奴郡甲奴町)境から馬洗川へ向けて広がる小さな扇状地地形に立地。地名は、「和名抄」所載の三谿(みたに)郡の郷名の一つ「松部」(松は私の誤字で、皇后部を意味する私部(きさいべ)とみられている)に由来するものとされている。吉舎の字をあてることについて、承久三年(一二二一)後鳥羽上皇が隠岐島配流の途次吉舎丑寅(うしとら)(艮)神社に一泊、「御叡慮ニ叶候哉、吉キ舎りと被仰、夫より吉舎村と唱来り候」という伝えがある(国郡志下調書出帳)。文献上では一五世紀半ば以前の成立とみられる村内大慈(だいじ)寺蔵の「宗綱語録」に「備后州三谷郡吉舎村」とみえるのが古く、同寺蔵の紙本墨書大般若経にも「奉施入吉舎村八幡宮 明応二年九月二十九日 願主善秀禅門」とある。また現高田郡甲田(こうだ)町高林(こうりん)坊の天正七年(一五七九)の銅鐘追銘には「備州木佐住人和智金吾真春」とあり、「木佐」の字をあてている。なお「芸藩通志」は三谿郡の五つの荘号の一つに吉舎庄をあげ、吉舎村のほかに清綱(きよつな)・丸田(まるだ)・雲通(うづい)・辻(つじ)・吉舎川之内(きさかわのうち)・桧(ひ)・三玉(みたま)・海田原(かいだはら)・矢井(やい)・敷地(しきじ)・矢野地(やのち)の一一ヵ村をその荘域としているが、その歴史的背景は不詳である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by