吉良満貞(読み)きらみつさだ

改訂新版 世界大百科事典 「吉良満貞」の意味・わかりやすい解説

吉良満貞 (きらみつさだ)
生没年:?-1384(元中1・至徳1)

南北朝時代の武将通称上総三郎,官途治部大輔,左兵衛佐。入道して省堅と号す。満義の子。三河国吉良荘などの地頭観応擾乱(じようらん)に当たり足利直義方となり,さらに南朝に降り,石塔頼房,山名時氏らとともに京都を襲った。やがて幕府に復帰し1363年(正平18・貞治2)引付頭人となる。しかし弟尊義(または義尊)の吉良荘東条押領が伝えられるなど,彼の代には吉良氏嫡流の勢力低下が兆した。
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関連語 小川

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉良満貞」の解説

吉良満貞 きら-みつさだ

?-1384 南北朝時代の武将。
吉良満義(みつよし)の子。左兵衛佐(さひょうえのすけ),治部大輔(たいふ)。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では父とともに足利直義(ただよし)にしたがう。ついで南朝に帰順,のち幕府に復帰し,引付頭人に起用された。この時代に弟の尊義が独立し,三河(愛知県)吉良氏は満貞の西条吉良,尊義の東条吉良の2流にわかれた。至徳元=元中元年9月5日死去。通称は上総三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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