名古曾廃寺(読み)なごそはいじ

日本歴史地名大系 「名古曾廃寺」の解説

名古曾廃寺
なごそはいじ

[現在地名]高野口町名古曾

紀ノ川の上流域、葛城かつらぎ山脈南麓の北名古曾辺りに営まれた古代寺院。当寺院跡の周辺は伊都いと郡内でも最も広範囲に条里制遺構がみとめられる。字住吉坪すみよしつぼに塔心礎が残るが、寺域・伽藍配置は不明。塔心礎は結晶片岩を用いたもので、長径二一〇センチ、短径一五〇センチ。中央に直径六一センチ、深さ六・五センチの穴がうがたれ、中心部には直径二四センチ、深さ七センチの舎利孔が設けられている。出土した軒丸瓦の文様は六葉複弁蓮華文を配し、中房に一七顆の蓮子と周囲に鋸歯文がある。これは大和藤原宮や川原かわら(現奈良県明日香村)の瓦の文様に似ており、これらから七世紀後半から八世紀初頭の短期間の寺院跡と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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