名古木村(読み)ながぬきむら

日本歴史地名大系 「名古木村」の解説

名古木村
ながぬきむら

[現在地名]秦野市名古木

秦野盆地の東端、大山の南に位置する畑方の村。北は寺山てらやま村、南は曾屋そや村、東は善波ぜんば(現伊勢原市)、西は落合おちあい村に接する。南端矢倉沢やぐらさわ往還が東西に、西方を大山道が南北に通る。「風土記稿」所収の玉伝ぎよくでん寺鐘銘および慶安二年(一六四九)の朱印状には「并椚村」と記す。小田原衆所領役帳には、大藤新兵衛「拾七貫五百文 中郡波多野奈古木」、大藤式部丞「寺山、なこの木、横野、新兵衛ニ被下」とある。寛文五年(一六六五)三月の田畑売買証文(秦野市史二)にも「なこのき村」とあるが、現地では「ながぬき」とよぶ(中郡勢誌)

近世は初め幕府直轄領、寛永五―八年(一六二八―三一)に下総生実藩領。享保三年(一七一八)に小田原宿の助郷を命ぜられたが、富士山噴火による砂降被害のため元文三年(一七三八)一〇九石が免除、寛延三年残り二六二石が免除された(寛延三年「東海道小田原宿助郷高控帳」熊沢文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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