曾屋村(読み)そやむら

日本歴史地名大系 「曾屋村」の解説

曾屋村
そやむら

[現在地名]秦野市曾屋・曾屋一―二丁目・ほん町一―三丁目・河原かわら町・もと町・末広すえひろ町・入船いりふね町・寿ことぶき町・さかえ町・文京ぶんきよう町・さいわい町・さくら町一―二丁目・水神すいじん町・ひばりヶおか富士見ふじみ

秦野盆地の中央部から東にかけて位置する。南端を流れる水無みずなし川に盆地の東方でむろ川が合し、さらに金目かなめ川と合流、北端を流れる葛葉くずは川は金目川と合流する。東は南矢名みなみやな村、南は平沢ひらさわ村・今泉いまいずみ村・尾尻おじり村・上大槻かみおおづき村、西は三屋さんや村、北は東田原ひがしたわら村・羽根はね村・落合おちあい村・名古木ながぬき村に接する。南北に矢倉沢やぐらさわ往還、東西に平塚道が通り、村の中央付近で交差する。大山道が村の東方で平塚道と交わり、西端を富士道が南北に通る。

正保国絵図に「曾屋」とある。字乳牛ちゆうしは、小田原衆所領役帳に桑原五郎左衛門「三拾弐貫五百文 中郡乳牛」とみえ、承応三年(一六五四)平沢村との水無川入会争論の裁許絵図(秦野市蔵)には「中志村」として「曾屋村」と併記される。また「風土記稿」は字山谷さんやを「関八州古戦録」にある天文二三年(一五五四)一〇月に北条氏康が古河公方足利晴氏を幽閉した「波多野山家」にあてる。


曾屋村
そうやむら

[現在地名]岩出町曾屋

赤垣内あかがいと村の東にあり、北は波分はぶ村。北部を藤崎井ふじさきい用水が西流する。「続風土記」は「或は増屋とも増谷とも書く、何れも仮名にて苧屋と書を正字とす、根来寺全盛の時、此村多く苧を販くを業とす、因て苧屋の名あり」と記す。中世には山崎やまさき庄に含まれていたと思われる。慶長検地高目録は「増屋村」と記し、村高五四二石余、小物成八斗一升四合。山崎組に属し、正徳元年(一七一一)の山崎組定免所指出帳(増田家蔵)によると田二九町四反余で高五三〇石余、畑(毛付)七反余で高一二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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