名張村(読み)なばりむら

日本歴史地名大系 「名張村」の解説

名張村
なばりむら

[現在地名]国府町名張

みや川と瓜巣うりす川の合流点左岸にあり、南東金桶かねおけ村。中世には国侍広瀬氏が広瀬ひろせ城に本拠を置いた。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳によれば広瀬郷に属し、田方二三八石余・畑方六一石余、物成八〇石余。同一八年の郷帳では高五五八石余。元禄検地反歩帳では高三六六石余、田二三町六反余・畑一一町五反余。「飛騨国中案内」では家数五三(うち百姓三七・地借三・門屋一三)、免五割七分六厘余。天明八年(一七八八)の村明細帳によると田高三四〇石余・畑高六三石余、うち新田高二三石余、反別田二八町三反余・畑一〇町二反余、家数五〇、男一四一・女一三九、馬二七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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