名手八幡神社(読み)なてはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「名手八幡神社」の解説

名手八幡神社
なてはちまんじんじや

[現在地名]那賀町穴伏

みやもりにあり、祭神誉田別ほんだわけ命・帯仲比古たらしなかつひこ命・息長足姫おきながたらしひめ命など。旧村社。「続風土記」は名手大明神社として、「村の西にあり、名手ノ荘十一箇村の産土神なり、古社頭荘厳なりしに、天正の兵火に罹りて神宝旧記まて皆焼亡す、今に尚堂塔の礎石の残りたるあり、鳥居ノ額八幡宮と書す、慶安元年賜ふ所といふ、里人相伝へて、神功皇后筑紫より御凱旋の時此地に蹕を駐め給ふといふ」と記す。すなわち現那賀町と粉河町にまたがる旧名手荘一一ヵ村の産土神で、慶安元年(一六四八)には座衆一一三人による宮座があり、氏子一万七千一三八人であった(「御八幡万入用帳」名手八幡神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む