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名越時章 なごえ ときあきら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

名越時章 なごえ-ときあきら

1215-1272 鎌倉時代の武将。
建保(けんぽ)3年生まれ。名越(北条)朝時(ともとき)の次男。寛元3年尾張守(おわりのかみ)。のち評定衆,三番引付頭人となり,肥後,能登(のと)などの守護をつとめた。執権北条時宗が兄の北条時輔(ときすけ)を討ったとき,時輔に味方した弟の名越教時(のりとき)とまちがえられて文永9年2月11日殺された。58歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

名越時章

没年:文永9.2.11(1272.3.11)
生年:建保3(1215)
鎌倉時代中期の武将。名越朝時の子。母は大友能直の娘。大炊助,式部少丞,式部大丞などに任じ,暦仁1(1238)年に叙爵。寛元3(1245)年から翌4年まで尾張守。同年5月,兄光時は前将軍藤原頼経を奉じ執権北条時頼追討を策して失敗するが,このとき時章は異心なき旨を時頼に誓い処罰をまぬがれた。宝治1(1247)年評定衆,建長3(1251)年三番引付頭人となる。またこの間,筑後,大隅,肥後の守護に任じた。弘長3(1263)年,時頼の死により出家し尾張入道見西と称す。この後も一番引付頭人などを務めたが,文永9(1272)年2月,執権北条時宗が庶兄時輔を追討したさいに,弟教時が時輔与党であったためあやまって鎌倉で殺された。時章の容疑はこのあとすぐにはれ,大蔵頼季ら5人の討手は誅された。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の名越時章の言及

【筑後国】より

…初代の大友能直の在職は1207年(承元1)から13年(建保1)まで確認できる。その後北条氏一門の名越時章が在職したが,72年(文永9)の二月騒動で誅され,守護職は大友頼泰に移った。建治年間(1275‐78)には北条義政にかわり,義政の遁世後77年(建治3)北条時宗の弟宗政が守護となった。…

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