大都(読み)ダイト(その他表記)Dà dū

デジタル大辞泉 「大都」の意味・読み・例文・類語

だいと【大都】[地名]

中国国都。現在の北京モンゴル語カンバリク都城の意)ともよばれた。

だい‐と【大都】

大きな都市。大都会

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精選版 日本国語大辞典 「大都」の意味・読み・例文・類語

だい‐と【大都】

  1. ( 「たいと」とも )
  2. [ 1 ] 〘 名詞 〙 大きな都。大都会。
    1. [初出の実例]「憶昔豪遊隘大都、老知畎畝是良図」(出典:六如庵詩鈔‐二編(1797)一・柏原山寺冬日雑題十六首)
    2. 「流石日本の大都(ダイト)とて、東京の繁華は思ひの他なり」(出典:今弁慶(1891)〈江見水蔭〉一〇)
    3. [その他の文献]〔春秋左伝‐隠公元年〕
  3. [ 2 ] 中国、元の首都。今の北京。世祖(フビライ汗)が金の首都中都に遷都してその東北に新城を築き、一二七二年に改称したもの。カンバリク。

たい‐と【大都】

  1. 〘 副詞 〙 およそ。おおむね。あらまし。大抵。
    1. [初出の実例]「大都一年三四度无年不一レ於霧露」(出典:本朝文粋(1060頃)一・夜行舎人鳥養有三継狂歌〈源順〉)
    2. 「文書之中於漢家書悉焼了、於日記之類者、大都出了云々」(出典:玉葉和歌集‐安元三年(1177)五月一五日)

おお‐ずおほヅ【大都】

  1. 〘 副詞 〙 おおよそ。たいがい。
    1. [初出の実例]「おほづ(大図)大略のこと。『未だよくは調べないが━これ位はあるだらう』」(出典:東京語辞典(1917)〈小峰大羽〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「大都」の意味・わかりやすい解説

大都 (だいと)
Dà dū

中国,元朝の首都。つづく明・清両朝および今日の北京の前身をなす。古来北東辺の軍事都市としてあった北京の地は,10世紀以降,遼の副都(南京(なんけい)),金の国都(中都)となるに及んで華北の重要な政治拠点の位置を占めるにいたった。モンゴリアに興起したチンギスハーンは,1215年(貞祐3),中都を攻略しこの地に華北支配の機構を設けた。さらに60年(中統1),憲宗モンケの急死により南宋征服の前線鄂州(がくしゆう)からきびすを返して北還したフビライ世祖)は,中都の北東郊外を自軍の冬の宿営地とし,新政権の根拠地とした。64年(至元1),アリクブカとのハーン位をめぐる継承戦争に勝利を収めると,フビライは中都を冬の都と定め,67年に故城の北東,従来の宿営地を中心に新城建設を命じた。71年,国号を大元と定めたのに伴い,建設中の新城は大都と命名され(1272),先に造営されていた350km北方の夏の都上都(ドロン・ノール付近)とあわせて元朝の両京となった。93年海港の直沽(天津)から城内中央の積水潭の港まで通恵河が開通し,71年だけでも150万労働日をくだらぬといわれる膨大な労働量をそそいだ造営は,四半世紀の歳月をかけてひとまずの完成をみた。

 大都の都市プランはフビライの謀臣劉秉忠(りゆうへいちゆう)(1216-74)が定め,モンゴル人のエスブハ,西域系の也黒迭児,漢人軍閥張柔らが施工の任にあたった。水利工事に意を用いたのは郭守敬であった。大都は,宮城・皇城・外郭城からなる三重の矩形囲郭で,外郭の全周は60里(実地発掘調査によると,周囲は約28.6kmのやや南北に長い長方形),市街は50坊に区画され,外郭の東南西3面に3門ずつ,北面のみ2門の計11の城門をもつ。皇城内は,太液池をはさんで東に宮城,西に太子府(のち隆福宮と改称,その北に興聖宮が造営された)があるほかは一面の草地,園遊地をなしていた。皇城南側一帯は主要政府官庁街,鼓楼,鐘楼のほか,海運・大運河経由の江南物資が陸揚げされる積水潭,各種の官設市場,大都路総管府(首都行政庁),巡警二院(首都民政局)など経済・行政機能が集中する。東側には太廟,西側には社稷(しやしよく)壇が設けられ,長安,洛陽をはじめとする歴朝の国都のうちでも《周礼(しゆらい)》考工記にいう国都の理想型を忠実に襲う設計といえる。皇城が外郭城の南端中央部に位置するという破格の形態となったのは,一つには水辺草地を囲い込むモンゴル的発想,二つには都市用水や水運の問題解決,この2点から積水潭,太液池などの高梁河水系を中心とする自然条件を活用したためであろうと思われる。

 大都の戸数は約14万,人口約40万,これは1270年の統計であるが,宮廷人,軍団,官僚などは含まれず,漢人民戸を主とする人口である。やや誇大な表現ではあるが,元末の大都は〈京師人烟百万〉とも称され,世界有数の大都市といえる。大都建設の当初は,住民の居住は,資産制限が設けられ,広壮な邸宅,寺院のみが立ち並んだ。13世紀末,大都に滞在したマルコ・ポーロは,賛嘆をこめて〈至る所に壮麗な宮殿,瀟洒(しようしや)な旅館,りっぱな邸宅が数多く立ち並び,目抜きの大街には各種の店舗が櫛比(しつぴ)している〉と記録にとどめている。近年の発掘調査によって,下水道の施設,明渠暗溝の用水路も完備していたことが明らかになり,帝国の首都にふさわしい諸設備が施されていた。〈この首都で見受けられるほど珍奇高価な商品がもたらされてくる都市は,世界中捜してもほかにあるまい〉とは,やはりマルコ・ポーロの残した言葉であるが,水陸の交通網は大都が起点となって全国にはりめぐらされ,商業・経済都市としても大いなる繁栄を誇った。都市文化の発達も著しく,雑劇,雑技,語り物など庶民の娯楽・芸能は大都の盛場でにぎわい,かつての南宋の杭州の繁盛に比肩するものがあった。さらにまたマルコ・ポーロ,オドリコ,イブン・バットゥータらの旅行家のみならず,諸国の外交使節,宣教師,商人など多くの外国人が往来・逗留した大都は,中国語の発音によって〈ダイトゥ〉,〈カーンバリク〉(〈ハーンの都〉を意味するが,もともとは金の故城を指していった)の名で西方に喧伝された,世界に冠たる国際都市でもあった。
北京
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大都」の意味・わかりやすい解説

大都
だいと
Da-du; Ta-tu

中国,の首都。北京の前身。モンゴル帝国は,金から中都と称されたこの地を奪い,世祖フビライ・ハンの至元2 (1265) 年その北東隣接地に『周礼』に記されてある王都の規模を模範に新城を建設,国都とした。これが大都で,南北に長い長方形をなしていた。マルコ・ポーロらは,これをカンバリク (汗〈カン〉,皇帝の城の意) と伝えている。明初に北平 (ほくへい) と称された一時期を経て,明朝第3代の永楽帝のとき再び国都にされ,のち北京と改称された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大都」の解説

大都(だいと)
Dadu

の首都。今の北京。世祖(クビライ)がの首都中都に遷都してその東北に新城を築き,1272年大都と改称した。カンバリク(モンゴル語でカン〈ハン〉の都)とも呼ばれ,豪壮な宮殿,整然たる市街,その繁栄ぶりなどはマルコ・ポーロらによって西方へ紹介された。

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普及版 字通 「大都」の読み・字形・画数・意味

【大都】だいと

おおむね。

字通「大」の項目を見る

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旺文社世界史事典 三訂版 「大都」の解説

大都
だいと

元の首都で,現在の北京 (ペキン) 。➡ 北京

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世界大百科事典(旧版)内の大都の言及

【北京】より

…8世紀には安禄山や史思明がここを根拠として唐朝に反乱を起こし,唐末には軍閥の劉仁恭父子が独立して燕国を建てた。
[元朝の都大都]
 五代になると後晋の石敬瑭(せきけいとう)が建国に際し,遼国(契丹)の援助を受けた返礼として,燕(幽)雲十六州(今日の北京市と大同市を含む河北・山西両省の北部)を遼国に譲渡した。遼では幽州を南京(五京の一つ)または燕京析津(せきしん)府と名づけ,薊県を析津・宛平(えんぺい)の2県に分けたので,1000年余りも続いた薊県の名はついになくなったのである。…

※「大都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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