朝日日本歴史人物事典 「北条時輔」の解説
北条時輔
生年:宝治2.5.28(1248.6.21)
鎌倉中期の六波羅探題。北条時頼と将軍家讃岐の子。時宗の異母兄。幼名宝寿丸。式部大輔。康元1(1256)年元服,時利と名乗る。のち時輔に改名。長兄であったが弟時宗,宗政の下位に置かれた。文永1(1264)年六波羅探題南方に就任。同9年執権時宗の命を受けた探題北方の義宗に攻められ,京都で戦死した。この直前,鎌倉で名越時章,教時兄弟が討たれており,蒙古襲来の危機の高まりのなかで,得宗時宗の権力確立のため,同時に排除されたと考えられる。ただし吉野に逃亡したともいう。庶兄ゆえの不運な生涯であった。
(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報