名都借城跡(読み)なづかりじようあと

日本歴史地名大系 「名都借城跡」の解説

名都借城跡
なづかりじようあと

[現在地名]流山市名都借 城山

江戸川左岸に開析する谷津奥の標高二一メートルの台地端にあり、周囲の水田面との比高は一六メートル。寺院・宅地などが建込んでいて遺構は空堀や土塁の一部が所々に残るだけである。このため全体の構造は不明であるが、おおよそ南北二四〇メートル・東西一八〇メートルほどの城域であったと考えられる。大永七年(一五二七)古河公方足利高基は敵対する弟足利義明の属城であった「名都借要害」を攻撃している(「足利高基感状写」鮎川文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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