日本歴史地名大系 「吹田城跡」の解説 吹田城跡すいたじようあと 大阪府:吹田市吹田村吹田城跡[現在地名]吹田市西の庄町安威(あい)川下流北岸、現在の西の庄(にしのしよう)町朝日麦酒吹田工場付近にあったと推定されるが、詳細は不明。城地の遺構は工場の建設によって破壊されている。寛正二年(一四六一)一二月二六日の中島崇禅寺領目録(崇禅寺文書)にみえる「西庄城」が吹田城をさすであろうとの説が有力。史料には水田城とも出る。建武三年(一三三六)六月二五日の逸見有朝軍忠状(小早川家文書)に「今月八日、属大将武田兵庫助信武御手、罷向摂津国水田城、同九日致散々合戦忠節、追落御敵候畢」、同月二九日の周防親家軍忠状(吉川家文書)に「今月九日、摂津国水田城致散々合戦、追落御敵候訖」と水田城がみえるほか、同月二六日の三戸頼顕軍忠状(毛利家文書)などにも水田での合戦が記される。いずれも足利方が水田城を攻めた記録だが、この時誰が吹田城に拠っていたかは不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報