和田惟政(読み)わだ これまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

和田惟政 わだ-これまさ

1530-1571 戦国-織豊時代の武将。
享禄(きょうろく)3年生まれ。足利義昭をたて幕府再興のため織田信長とむすび,摂津高槻城主となる。キリシタンの保護につとめ,信長に宣教師フロイスを紹介する。池田知正とたたかい,元亀(げんき)2年8月28日討ち死に。42歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

和田惟政

没年:元亀2.8.28(1571.9.17)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。伊賀守。法名宗意。宗立の子。はじめ将軍足利義輝に仕え,義輝滅亡後はその弟義昭を庇護して臣となった。織田信長にも重用され,永禄11(1568)年,摂津高槻城(大阪府高槻市)城主。同年10月,信長の命で細川(長岡)藤孝,佐久間信盛と共に,松永久秀を助けて大和の諸城を攻めた。義昭に伊丹忠親,池田勝正と和するように求められ,摂津3守護のひとりとなる。翌年1月,三好三人衆が京都本圀寺在陣中の義昭を攻撃すると,これを撃退。元亀2(1571)年8月,池田知正と摂津郡山(茨木市)に戦って討死した。葬地は近江安土の浄厳寺。キリスト教に帰依し,近畿地方での有力な保護者であったという。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

わだこれまさ【和田惟政】

1530‐71(享禄3‐元亀2)
戦国末期の武将。近江甲賀の地侍の出身。1565年(永禄8)足利義昭が奈良から逃亡の途次,彼の居館に庇護され,以後義昭の御供衆(近習)として随身官途は伊賀守。所伝では義輝にも仕えたというが確実な根拠はない。68年織田信長に擁せられて義昭が入京を果たすと,信長から高槻城主に任ぜられ,摂津島上,島下2郡の支配を管轄する守護となり,同時に明智光秀,木下(豊臣)秀吉らと信長の京都代官を兼帯した。《耶蘇会士日本通信》が彼を都の総督とするのは誇張である。

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