吾妻勝剛(読み)アヅマ カツタケ

20世紀日本人名事典 「吾妻勝剛」の解説

吾妻 勝剛
アヅマ カツタケ

明治・大正期の医師 京都帝国大学教授。



生年
慶応3年10月6日(1867年)

没年
大正12(1923)年9月1日

出身地
出羽国久保田(秋田県)

学歴〔年〕
帝国大学〔明治26年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治36年〕

経歴
出羽久保田藩藩医・吾妻勝重を父に生まれる。明治8年独逸協会学校に学び、大学予備門を経て、26年帝国大学医科を卒業。31年ドイツに留学、産科婦人科を研究し帰国後、34年京都帝大教授となり産科婦人科教室の主任を務める。39年教授を辞して東京産科婦人科病院に入り、43年順天堂病院に転じ、のち独立して東京に吾妻病院を設立し経営した。大正12年関東大震災により死去

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吾妻勝剛」の解説

吾妻勝剛 あづま-かつたけ

1867-1923 明治-大正時代の産科婦人科医。
慶応3年10月6日生まれ。生家は出羽(でわ)久保田藩(秋田県)藩医。ドイツ留学後,明治34年京都帝大教授。のち順天堂病院などをへて,東京に吾妻病院を設立。関東大震災により大正12年9月1日死去。57歳。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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