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呂尚 リョショウ

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デジタル大辞泉の解説

りょ‐しょう〔‐シヤウ〕【呂尚】

太公望(たいこうぼう)

ろ‐しょう〔‐シヤウ〕【呂尚】

太公望(たいこうぼう)

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大辞林 第三版の解説

りょしょう【呂尚】

中国、周初の功臣。文王に見いだされ、周公旦らとともに武王を助けて殷いんを滅ぼし、周王朝建国に貢献した。のち斉侯に封ぜられ斉の基礎を築いた。生没年未詳。 → 太公望六韜りくとう

ろしょう【呂尚】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

呂尚
りょしょう

太公望」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

呂尚
りょしょう

生没年不詳。中国、殷(いん)末周(しゅう)初の武将、政治家。『史記』斉太公世家(せいたいこうせいか)によると、伯夷(はくい)の末裔(まつえい)で、山東省の海岸地方の出身であるが、落ちぶれて渭水(いすい)のほとりで釣りをしていたとき、周の文(ぶん)王(西伯昌(せいはくしょう))に出会い、先君太公(たいこう)が待ち望んだ賢者であることがみいだされ、太公望と号して軍師に迎えられた、としている。しかしこの説話は呂尚についての多くの伝説の一つにすぎず、真偽は不明である。周が殷を滅ぼすとき、周軍の指揮者として、自らの部族の軍を率いて活躍した。その功により斉侯に封ぜられ、春秋戦国時代の斉国の創始者となった。斉の地は現在の山東省であり、多くの異民族が居住していたが、それらをよく周王朝の下に同化して、周王朝の東方を安定させた。また農業以外に、地の利を生かして漁業、製塩業のような産業をおこし、またそれらの生産物を販売する商業を活発化させて、のちの斉国の繁栄の経済的基礎を築き上げるのに大きな功績を残した。[太田幸男]

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世界大百科事典内の呂尚の言及

【周】より

…洛邑を建設して成周とよんで東方支配の拠点とし,西の都を宗周と称した。各地に一族や功臣の有力者を封建して諸侯とし,土地と民とを支配させ,周王は諸侯を統制することによって東方を支配しようとし,周公旦の子伯禽を魯(山東省曲阜県)に,召公奭(しようこうせき)(武王弟)の子(弟ともいわれる)を燕(北京市西郊)に,康叔(武王弟)を衛(河南省淇県)に,功臣太公望呂尚を斉(山東省臨淄(りんし)県)に封じるなどした。これが周の封建制度である。…

【太公望】より

…中国古代,西周建国の際の功臣。名は呂尚。師尚父と尊称される。…

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