日本歴史地名大系 「和名ヶ谷村」の解説 和名ヶ谷村わながやむら 千葉県:松戸市和名ヶ谷村[現在地名]松戸市和名ヶ谷・稔台(みのりだい)紙敷(かみしき)村の北西、松戸新田の南東台地上に集落が展開する。村南東部の国分(こくぶん)谷を国分川(春木川)が南流し、支谷の浮(うき)ヶ谷津が村西部を二分して松戸新田方面に延びている。慶長四年(一五九九)の勝餝郡国分庄田畑わなかや村之内小縄水帳(秋谷家文書)によれば旗本江馬領で、田方は六六筆・五町歩余(中田二町四反余・下田二町六反余)、畑方は四二筆・一町八反余(上畑四畝余・中畑九反余・下畑八反余)、屋敷は七筆・一反余。同水帳では分付・抱の記載もみられ、また現在も小字に残る、けすつつみ(下水堤)・のらいとう(如来堂)・宮(みや)ノ下(した)・向(むかい)など浮ヶ谷津近辺の地名がみえる。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳では中相馬(なかそうま)郡風早(かざはや)庄のうちとされ、和名関村とあり、高三〇〇石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by