日本歴史地名大系 「和智誠春墓」の解説 和智誠春墓わちまさはるのはか 広島県:双三郡吉舎町丸田村和智誠春墓[現在地名]吉舎町丸田戸張(とばり)川東岸の山際、和智誠春が建立した永樹(えいじゆ)寺跡近くにある宝篋印塔。誠春は江田(えた)庄を除く三谿(みたに)郡一帯を支配した南天山(なんてんざん)城第九代城主で、鎌倉初期三谿郡の地頭職を得た広沢氏の末裔。天文年間(一五三二―五五)には毛利・大内方に属し、弘治三年(一五五七)二月二日付の毛利氏親類衆年寄衆并家人連署起請文案(毛利家文書)の一八名の傘連判には、一族の上原豊将・安田元賢や弟の柚谷元家(湯谷久豊ともいう)らとともに名を連ねている。しかし永禄一一年(一五六八)春、毛利元就によって誠春・久豊兄弟は遠征先の伊予国から呼戻されて厳島へ幽閉され、翌年正月誠春は殺され、久豊も自刃した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by