日本歴史地名大系 「和無田村」の解説 和無田村わむだむら 徳島県:那賀郡木頭村和無田村[現在地名]木頭村和無田出原(いずはら)村の西、那賀川上流北岸の山間部に位置する。「わんだ村」とも称する。海部(かいふ)郡木頭村の枝村で木頭上山(きとうかみやま)村に含まれる。寛永五年(一六二八)の木頭上山村検地帳(木頭村誌)には和無田村が書上げられ、高八四石余、田八町四反余・畑八反余・伐畑一反余、茶園四〇九坪、漆六六本、かじ一五八株。正保国絵図では「木頭村之内和無田村」とある。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳でも木頭村の項に枝村として名がみえる。宝永四年(一七〇七)の伐畑検地帳(木頭村誌)では伐畑二町三反余、高一斗余。 和無田村わんだむら 三重県:四日市市南部地区和無田村[現在地名]四日市市和無田町水沢野田(すいざわのだ)村の東南方、内部(うつべ)川の南に位置し、対岸は堂箇山(どうがやま)村、東には六名(ろくみよう)村がある。江戸時代は亀山藩領。「亀山御領分雑記」によれば、延享年間(一七四四―四八)の耕地は田方一八町五反余(分米二六一石余)、畑方一一町六反(分米一二六石余)、ほかに新田畑五二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by