和田北村(読み)わだきたむら

日本歴史地名大系 「和田北村」の解説

和田北村
わだきたむら

[現在地名]中央町和田北

現中央町の南西端にあり、二上ふたかみ山地南端に近い高地の村。南は和田南村(現御津郡建部町)北東大垪和西おおはがにし村、南東角石畝ついしうね(現建部町)。主要な道として大垪和西村への道があり、さかいみやたわ四方に分れる。もと和田村で、延宝六年(一六七八)北村・南村に分れる(作陽誌)。近世初期とされる豊楽ぶらく(現建部町)の永代帳(豊楽寺文書)に「ハガ和田村天田市右衛門娘妙徳禅定尼」が記される。慶長一一年(一六〇六)一一月六日の森忠政判物(作陽誌)によれば、可児兵太は和田村のうち二〇〇石などを知行している。

正保郷帳に和田村として田方四一九石余・畑方四六〇石余とある。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳の改出高一五四石余・開高三三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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