和田恒輔(読み)ワダ ツネスケ

20世紀日本人名事典 「和田恒輔」の解説

和田 恒輔
ワダ ツネスケ

昭和期の経営者 富士通社長



生年
明治20(1887)年11月3日

没年
昭和54(1979)年12月2日

出生地
山口県

学歴〔年〕
神戸高商

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和33年〕,西ドイツ功労十字勲章一級〔昭和35年〕,,西ドイツ功労大十字勲章〔昭和43年〕,ライダー一級勲章(ブルガリア)〔昭和45年〕

経歴
明治42年古河鉱業に入社。大正12年設立と同時に富士電機製造に転じ、昭和6年取締役となる。20年社長に就任、シーメンスと提携するなど経営の多角化を進めた。29年富士通信機製造(のちの富士通)社長、のち会長。一方、28年日本ポリドール(のちのポリドール)取締役、第一原子力産業グループ会長、日本原子力発電取締役などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田恒輔」の解説

和田恒輔 わだ-つねすけ

1887-1979 昭和時代の経営者。
明治20年11月3日生まれ。42年古河鉱業に入社。大正12年設立された富士電機製造(現富士電機)にうつる。昭和20年社長となり,シーメンスとの提携をすすめ,多角経営戦略をとる。29年富士通信機製造(現富士通)社長。昭和54年12月2日死去。92歳。山口県出身。神戸高商(現神戸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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