朝日日本歴史人物事典 「和田理左衛門」の解説
和田理左衛門
生年:生年不詳
17世紀トンキン在住の貿易商人。長崎出身,洗礼名パウロ。夫人は同郷のウルスラ,承応2(1653)年その死に際し盛大な葬儀をトンキンの教会で営む。初めシヌア(清華)村の頭人,のち同国を拠点にマカオ,シャム,バタビアなどの貿易に従事。寛永15(1638)年オランダ商館建設を請け負って以来オランダ商人との関係を深め,オランダ船で日本から銀を入手する。承応1年トンキン国第2位の地位にのぼりマンダリン(高官)として外国人貿易を統轄。王都郊外に領地を所有したが,死後,領地・財産を没収された。<参考文献>永積洋子「17世紀中期日本・トンキン貿易について」(『城西大学大学院研究年報』8号)
(五野井隆史)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報