朝日日本歴史人物事典 「和田義盛の妻」の解説
和田義盛の妻
鎌倉前期の武家の女性。豊受大神宮七社の禰宜度会康高の娘。建保1(1213)年の義盛の乱により和田一族の所領は没収されたが,義盛の妻の所領は同神宮の御厨であったので本宮に返され,その身も恩赦にあずかった。将軍源実朝の神を敬う心によるところも大であったが,謀反人の妻の縁座にも裁量の余地があったことを示す事例として興味深い。
(田端泰子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...