和賀村(読み)わがむら

日本歴史地名大系 「和賀村」の解説

和賀村
わがむら

[現在地名]山東町和賀

粟鹿(あわが)村の北西、末歳(まつさい)村の東、柴(しば)川の下流域に位置する。古代山陰道の宿駅粟鹿駅の比定地と目されている。北東の山上に中世の城跡が残り、滝野氏の築いた滝野(たきの)城という。中世の和賀庄を継承する村名であるが、江戸時代には和賀・一品(いつぽう)・早田(わさだ)・柴(しば)・粟鹿の諸村を和賀庄としている(但馬考)。山陰道筋で、「但州湯嶋道中独案内」では柴村・和佐田村(早田村)に続いて「わが村」が記される。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高二六九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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