和賀庄(読み)わがのしよう

日本歴史地名大系 「和賀庄」の解説

和賀庄
わがのしよう

しば川・粟鹿あわが川流域にあった京都仁和寺領庄園で、和賀が遺称地。「但馬考」は、和賀・一品いつぽう早田わさだ・柴・粟鹿の五村を和賀庄としている。初見は建久九年(一一九八)九月の但馬国司庁宣(仁和寺文書)で、当庄(禾賀庄と記される)新井にい(現日高町)大内おおうち(現豊岡市)の仁和寺領三ヵ庄の大嘗会用途を、先例のとおり免除すべきことを留守所に命じている。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文では「和賀庄 四十一町九反三百四十分」とみえ、「御室御領」「地頭大膳亮秀政、同舎弟光秀已下後家女子六人分領」と注記があり、庄田の内訳は、流失無地三町八反二五〇歩、地頭・公文両職分五町、領家分三二町三反三〇〇歩(別納三町左衛門入道給)である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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