日本歴史地名大系 「唐人焼窯跡」の解説 唐人焼窯跡とうじんやきかまあと 島根県:鹿足郡柿木村福川村唐人焼窯跡[現在地名]柿木村福川近世初期の陶器窯跡。唐人屋(とうじんや)の地名が残る。青野(あおの)山南東の小丘陵の東斜面、標高五五〇メートルにある。吉賀(よしが)川の支流福川(ふくかわ)川の渓流や、柿木から杉(すぎ)ヶ峠を越えて津和野に通じる安芸廿日市(あきはつかいち)街道を見下ろす位置にある。豊臣秀吉の慶長の役に吉見広行に従軍した三(さん)ノ瀬(せ)城主斎藤市郎左衛門は、蔚山の戦で捕虜とした李郎子を連帰り、窯を築いて陶器を焼かせた。又左衛門と称し結婚したが子はなかったという(吉賀記)。その窯跡と伝える。昭和五六年(一九八一)・同五七年に柿木村教育委員会が部分的な発掘調査を実施した。その結果、焚口と窯尻に近い燃焼室を検出し、約三〇度の傾斜面に築かれた五室ほどの、全長一五メートルを超えない窯と考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by