日本歴史地名大系 「唐原村」の解説 唐原村とうばるむら 福岡県:糸島郡二丈町唐原村[現在地名]二丈町満吉(みつよし)満吉村の南の山間にある。当地にあった塔原(とうげん)寺は承元四年(一二一〇)六月一三日の少弐資頼下文(藤瀬文書/鎌倉遺文 補遺編一)などに原田庄内塔原寺とみえ、当地は原田(はらだ)庄に含まれたとみられる。寛文四年(一六六四)の肥前唐津藩主大久保忠職の領知目録(寛文朱印留)に村名がみえる。元禄国絵図では高五三石余。領主の変遷は松末(ますえ)村と同じとみられる。天保三年(一八三二)の中津藩領郷村高帳下書でも高五三石余。 唐原村とうのはるむら 福岡県:福岡市東区唐原村[現在地名]東区唐原一―七丁目・香椎駅前(かしいえきまえ)三丁目・香住(かすみ)ヶ丘(おか)一―七丁目・和白(わじろ)一丁目・松香台(まつかだい)二丁目など裏粕屋(うらかすや)郡に所属。立花(たちばな)山の西、下原(しもばる)村の西に位置する。「続風土記」・天保郷帳は同村の枝村とする。「続風土記」によると村内に下村があった。元禄五年(一六九二)には高五七二石余(田圃志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by