善明寺(読み)ぜんみようじ

日本歴史地名大系 「善明寺」の解説

善明寺
ぜんみようじ

[現在地名]湖東町横溝

横溝よこみぞ集落の西にある。金光山と号し、臨済宗永源寺派。本尊薬師如来。万治年間(一六五八―六一)永源えいげん(現滋賀県永源寺町)の寂照が小堂であった当寺に住し、現在の宗派に改めたという。延宝六年(一六七八)次の代の喜春が先師の遺命を受けて再興を企て、彦根藩主井伊直澄の母および姉が再興結縁し、資金・資材の援助を行ったという(善明禅寺記)。丈六の木造阿弥陀如来坐像、半丈六の木造阿弥陀如来坐像(ともに国指定重要文化財、平安後期作)が安置され、半丈六像の胎内には長承二年(一一三三)一〇月の「仏師河内講師僧快俊」の造像銘記と、四四名にも上る結縁交名が墨書されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報