新潟県北部の市。南は新発田市に接する。2005年9月中条(なかじょう)町と黒川(くろかわ)村が合体して成立した。人口3万1424(2010)。
胎内市中南部の旧村。旧北蒲原(きたかんばら)郡所属。人口6750(2000)。胎内川北岸の扇状地と上流の山間盆地,飯豊山地からなる。古くから石油を産し,《日本書紀》天智7年(668)7月条に〈越の国より燃土と燃水を献ず〉とあるのは,この地の石油といわれ,村名も臭水(くそうず)(原油)によって川が黒くなったことに由来するといわれる。中心地の黒川周辺の扇状地では稲作,山間地ではタバコ,シイタケ,ナメコの栽培や畜産,またこれらの産品の加工業も行われている。胎内二王子県立自然公園に指定された胎内川上流は渓谷美で知られるが,1967年の羽越水害で壊滅的被害を受けた。さらに上流の胎内平には国設胎内スキー場もあり,レクリエーション地として宿泊施設等の建設が行われている。
胎内市北西部の旧町。旧北蒲原郡所属。人口2万7528(2000)。越後平野北部にあり,胎内川下流の扇状地と蒲原砂丘,背後の櫛形山脈からなる。平安時代に城氏によって開発され,中世に和田氏(のち中条氏)が地頭をつとめた奥山荘の中心地で,近世には村上藩領に属し,米沢街道の宿場町,市場町として栄えた。1956年砂丘地帯に日本最大級の天然ガス田が開発され,60年には天然ガスを原料とする化学コンビナート工場が誘致されて,一躍工業都市となった。74年には日立製作所が進出し,県内町村では有数の工業出荷額をもつ。JR羽越本線が通じ,日本海東北自動車道のインターチェンジがある。扇状地は古くから早場米の産地として知られるが,近年はタバコ栽培が盛んで,砂丘地帯では果樹栽培,野菜栽培への転換が進んでいる。特にチューリップの球根栽培が盛ん。江戸初期の様式を残す乙宝寺の三重塔は重要文化財,荒川神社の船絵馬は重要有形民俗文化財に指定されている。
執筆者:佐藤 裕治
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新潟県北東部にある市。2005年(平成17)、北蒲原(きたかんばら)郡中条町(なかじょうまち)、黒川村(くろかわむら)が合併して市制施行、胎内市となる。市名は飯豊(いいで)山地に源を発し、市域を貫流して日本海に注ぐ胎内川にちなむ。JR羽越本線(うえつほんせん)と国道7号、113号、345号、290号が通じる。中心街は日本海に面した干拓地、沖積平地に発展。この西部地域を除いた大半は山間地で、胎内川本・支流、あるいは加治(かじ)川の支流坂井(さかい)川沿いに集落が点在する。胎内川の上流域の山地は磐梯朝日国立公園(ばんだいあさひこくりつこうえん)、中流域は胎内二王子(にのうじ)県立自然公園に属し、スキー場・ハイキングコース、飯豊連峰への登山道などが整備されている。
胎内川、坂井川ほかの段丘上には先縄文時代から平安時代にわたる遺跡が分布。平安末期、胎内川扇状地を中心に摂関家領奥山庄(おくやまのしょう)が開かれた。同庄は中世には三浦・和田一族(後の中条氏)による開発が進み、『奥山庄波月条(なみつきのじょう)絵図』(国指定重要文化財)が残る。古くから臭水(くそうず)(石油)の産地で、『日本書紀』にみえる「越国」が献上する「燃ゆる水」(臭水)の産地だったといわれ、前掲絵図にも「久佐宇津条」がみえる。旧黒川村の地名黒川も臭水、黒い水(石油)の流れる川によるともいう。大正時代、山麓(さんろく)では黒川油田の開発も行われた。1960年(昭和35)に中条、紫雲寺(しうんじ)ガス田の開発が進み、豊富な天然ガスを原料とするガス化学コンビナートが建設され、化学工業都市に発展。沖合では岩船沖油ガス田が操業。クラレ、JX石油開発、日立産機システムなどの工場がある。乙宝寺(おっぽうじ)三重塔(国の重要文化財)、鳥坂(とさか)城跡、地本(じもと)のミズバショウ群落などの名所がある。面積264.89平方キロメートル、人口2万8509(2020)。
[編集部]
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