横溝村(読み)よこみぞむら

日本歴史地名大系 「横溝村」の解説

横溝村
よこみぞむら

[現在地名]大木町横溝

前牟田まえむた村の南、やま川・花宗はなむね川の両下流に挟まれて位置する。南は上白垣かみしろかき(現大川市)上八院かみはちいん村、東は大角おおずみ村。久留米柳川往還が通る。本高は一千七四八石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高二千九一五石余・役高二千三七一石余。当村は実質的に南北に分れ、「在方諸覚書」も北は源助、南は新次郎庄屋を分けて記載する。田中吉政による久留米柳川往還整備時に、在郷町の横溝町がつくられた(筑後地鑑)。諸公事免除とされ、吉政を祀った兵部ひようぶ神社がある。「啓忘録抜萃」によると横溝町の家数二六、町数一町三五間。


横溝村
よこみぞむら

[現在地名]湖東町横溝

池庄いけしよう村・小池こいけ村の北東に位置する。中世には押立おしたて保の一部で、長享元年(一四八七)一〇月二二日の室町幕府奉行人連署奉書(天龍寺文書)に「押立保内横溝郷」とみえる。室町中期から国人領主鯰江氏や守護六角氏などが当地を横領し(臨川寺文書・蔭涼軒日録)、永正九年(一五一二)三月一一日に押立神社神領の押立山の下草刈の入会地について定められ、横溝郷は家数一五〇、この神納小直米は一石六斗であった(押立神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android