喜友名村
ちゆんなーむら
[現在地名]宜野湾市
喜友名・喜友名一―二丁目・
新城二丁目
伊佐村の東にあり、北部は海岸低地、南部は段丘状となっている。チュンナーとよばれる。「おもろさうし」巻一五の五〇に「又 きとむなわのともり(喜友名の富盛)/おもかけのともり(面影にうかぶ富盛)/又 中くすく みれは(中城をみると)/しらみちよ みみれは(白御所〔聖地〕をみると)/又 しらぬのも はゑて(白布を延べて)/まぬのも はへて(真布を延べて)」とある。喜友名の近く大山と真志喜に富盛原という原名が残り、「ともり」はここをさすのであろう。白布を延べるという表現は、喜舎場永
の「大原越地節」の説明によると、身分の高い人の通行歓迎を表すという(八重山民謡誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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