喜多 文子
キタ フミコ
明治〜昭和期の棋士
- 生年
- 明治8年(1875年)
- 没年
- 昭和25(1950)年5月10日
- 旧姓(旧名)
- 林,司馬
- 経歴
- 司馬江漢の2女。5歳の時林さのの養女となった。14歳で初段、19歳3段、21歳で能楽家家元喜多六平太と結婚。以後13年間碁石と縁を切った。林さのの養兄中川千治の勧めで再び方円社に入り、同志会にも参加、大正9年女流初の5段となり 日本棋院創立に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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喜多文子 きた-ふみこ
1875-1950 明治-昭和時代の囲碁棋士。
明治8年生まれ。棋士・林佐野の養女。14歳で初段となる。明治28年喜多流能楽師14代の喜多六平太能心と結婚。13年の空白ののち囲碁結社方円社にはいり,大正9年女性初の5段。13年日本棋院の創立に参加,6段に推薦された。昭和25年5月10日死去。75歳。平成25年囲碁殿堂入り。東京出身。旧姓は司馬。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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