喜多村家(読み)きたむらけ

山川 日本史小辞典 改訂新版 「喜多村家」の解説

喜多村家
きたむらけ

近世初期から江戸町年寄を,奈良屋樽屋とともに代々世襲した。初代弥兵衛,以後は彦兵衛ないし彦右衛門と称する当主が多く,本町3丁目に拝領屋敷を所有していた。町年寄のほかに1670年(寛文10)から1768年(明和5)まで神田玉川の両上水を管理し,1670年から93年(元禄6)まで関口・小日向・金杉3カ村の代官も勤めた。尾張町1丁目・橘(たちばな)町1丁目などで町屋敷経営を行っていた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の喜多村家の言及

【喜多村弥兵衛】より

…江戸の町年寄三家の一つ,喜多村家の祖。1590年(天正18)徳川家康に従って江戸に来た武士といわれる。…

【町年寄】より

…近世の城下町や商業都市で町を支配する役人。とくに総町を支配する役人の名称として,江戸,甲府,福井,長崎などの都市で用いられた。ただし,大坂,堺などでは総年寄といい,ほかに町大年寄,総町年寄頭など,呼び方は場所により多様であった。 江戸の町年寄は,はじめ〈江戸宿の年寄〉と呼ばれていたようである。奈良屋,樽屋,喜多村の3家があり,それぞれ日本橋本町一丁目,二丁目,三丁目の角屋敷を拝領していた。はじめは町中の支配だけではなく,街道の整備なども行っていた。…

※「喜多村家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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