日本歴史地名大系 「嘉喜尾村」の解説
嘉喜尾村
かぎのおむら
太閤検地の石高は二四〇石二斗五升で、耕地面積の比率は田が五七パーセント、畑が四三パーセントであったが、寛文検地では耕地は約五倍に増加し、田が二二パーセント、畑が七八パーセントとなっている。寛文一一年(一六七一)に春日奥池、貞享元年(一六八四)に古畑池、享保元年(一七一六)に春日宮下池(入舟池)、寛保二年(一七四二)にぬた池が築造された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報