日本大百科全書(ニッポニカ) 「元の時代」の意味・わかりやすい解説 元の時代(年表)げんのじだいねんぴょう 注:1204~1259年までは南宋の年号を、1260~1363年までは元の年号を、1368年は明の年号を記した1204(嘉泰4) テムジン(チンギス・ハン)、東モンゴルの支配確立1235(端平2) モンゴルと南宋の交戦始まる1244(淳祐4) フビライ、王に封ぜられる1251(淳祐11) モンケ、モンゴル皇帝の位につく。皇弟フビライを漢地大総督に任ずる1253(宝祐1) フビライ、雲南を攻めて、大理国を滅ぼす1257(宝祐5) モンケ、南宋を親征1259(開慶1) モンケ、四川の陣営に病死1260(中統1) フビライの弟アリク・ブハ、カラコルムにクリルタイを招集(1月)。フビライ、南宋戦線から戻り、自ら即位しアリク・ブハと対立、抗争(3月)。フビライ、「中統」の年号を建て、中統鈔を発行する(4月)1262(中統3) 山東の漢人軍閥の反乱を平定し、以後軍民分離の政策を断行1263(中統4) 軍事機関として、枢密院を設ける1264(至元1) アリク・ブハ敗れ、フビライに降伏(1月)。燕京(北京)を中都(のち大都)と改め、上都とともに首都と定める(8月)1265(至元2) 地方行政機関として州県制を始める1268(至元5) 監察機関として御史台を設置。元使、日本の大宰府に至るが、日本返書せず1269(至元6) パスパ文字公布。オゴタイ・ハン国のハイドゥ、西方の3ハン国を誘って反フビライ同盟を結ぶ1270(至元7) 高麗に三別抄の乱起こる(~1273)1271(至元8) フビライ、国号を大元と号する。元朝政権始まる1273(至元10) 襄陽陥落1274(至元11) 征日本派遣軍失敗(文永の役)。元の左丞相バヤン、襄陽から南宋総攻撃の途に上る(9月)。マルコ・ポーロ元朝廷に至る1276(至元13) 元軍、南宋の無条件降伏を受け入れ、首都臨安(杭州)を接収1279(至元16) 南宋、完全に滅びる1280(至元17) 授時暦を頒布1281(至元18) 再度の日本遠征に失敗(弘安の役)1282(至元19) 文天祥、大都(北京)の刑場で殺される1284(至元21) 北部ベトナムの大越、南部ベトナムの占城を攻め失敗(~1285)1286(至元23) ビルマを討ちパガン朝を滅ぼす(~1287)1287(至元24) 北ベトナムにふたたび侵入し敗退。ハイドゥ、ナヤンと東西より元を脅かす。フビライ親征してナヤンを滅ぼす。至元鈔を発行、中統鈔とともに流通1290(至元27) マルコ・ポーロ帰国の途につく1292(至元29) 元軍ジャワに遠征し失敗(~1293)1294(至元31) フビライ、80歳で死去1301(大徳5) ハイドゥ、元軍と戦い失敗、帰途死去1303(大徳7) ハイドゥの子チェベル、チャガタイ・ハン国ドアとともに元朝と和睦1309(至大2) 至大鈔を発行し、中統鈔を廃する1310(至大3) チャガタイ・ハン国のドア、チェベルのオゴタイ・ハン国を滅ぼす1314(延祐1) 初めて科挙を行う1322(至治2) 白蓮仏事を禁じる1323(至治3) 反臣テクシ、英宗を殺し、泰定帝を擁立する1328(天暦1) 元朝帝室に一大内乱起こる。上都(文宗政権)と大都(北京)(天順帝政権)の南北に分立抗争後に文宗勝利1329(天暦2) 文宗、兄の明宗に帝位を譲る。明宗殺され、ふたたび文宗が即位1345(至正5) 『遼史』『金史』『宋史』が完成1351(至正11) 紅巾の乱起こる1356(至正16) 朱元璋、金陵(南京)に拠り呉国公と称す1359(至正19) 陳友諒、江州に拠り漢王と称す1363(至正23) 朱元璋、陳友諒を敗死さす1368(洪武1) 朱元璋、南京に明朝を興す。元の首都大都(北京)を陥れ、元滅びる 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例