四ッ屋新村(読み)よつやしんむら

日本歴史地名大系 「四ッ屋新村」の解説

四ッ屋新村
よつやしんむら

[現在地名]黒部市生地四ッ屋新いくじよつやしん

東は大野新おおのしん村、西に生地村。通称神明しんめい町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一六石、免二ツ五歩(三箇国高物成帳)。延享元年(一七四四)から天保九年(一八三八)まで六度の手上高があり、同一一年の草高三五石(「高免帳」杉木家文書)小物成は寛政六年(一七九四)より七木運上銀五分三厘を納めた(下新川郡史稿)


四ッ屋新村
よつやしんむら

[現在地名]滑川市四ッ屋新

早月はやつき川が形成した新扇状地の扇央部に位置し、南東栃山とちやま村、南は小林こばやし村。慶安三年(一六五〇)村立てされた(出来新村・退転村記申帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(四ッ屋新区有文書)によると草高六九石、免三ツ三歩。所属組は上島かみじま村と同じ。享保一八年(一七三三)の新川郡村廻帳(川合家文書)では村肝煎は栃山七口新とちやまななくちしん村が寄肝煎を勤め、家数四はすべて百姓


四ッ屋新村
よつやしんむら

[現在地名]五泉市四ッ屋新

阿賀野川と早出はいで川の氾濫原がつくった自然堤防上に位置し、東は土堀つちぼり村、西は赤羽下あかはげ村に接する。四ッ屋村の枝郷で、万治二年(一六五九)村上藩検地では草高四六石余であった(中蒲原郡誌)。宝永七年(一七一〇)幕府領となり、その後高田藩領、幕府領などを経て天保元年(一八三〇)沼津藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android