コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

村上藩 むらかみはん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村上藩
むらかみはん

元和4 (1618) 年以前は本庄藩といった。江戸時代,越後国 (新潟県) 岩船郡地方を領有した藩。村上氏9万石に始り,元和4年以降堀氏 10万石,本多氏1万石,松平 (結城) 氏 15万石,榊原氏 15万石,本多氏 15万石,松平 (大河内) 氏7万 2000石,間部氏5万石を経て享保5 (1720) 年以後内藤氏5万石が在封して廃藩置県にいたった。内藤氏は譜代,江戸城帝鑑間詰。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

藩名・旧国名がわかる事典の解説

むらかみはん【村上藩】

江戸時代越後(えちご)国岩船(いわふね)郡村上(現、新潟県村上市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩(一時親藩(しんぱん))。藩校は克従館。1598年(慶長(けいちょう)3)、上杉景勝(かげかつ)が会津に移されたあと、堀秀治(ひではる)が越後の国主として春日山城(かすがやまじょう)に入った。その際、秀治の与力(よりき)大名として村上頼勝(よりかつ)(義明)が加賀(かが)国小松から9万石で当地に入り、立藩した。2代忠勝が御家騒動を理由に改易(かいえき)されたあとは、譜代や家門(かもん)が相継いで入封(にゅうほう)した。外様の堀氏2代(10万石)、譜代の本多忠義(ただよし)(10万石)、家門の松平直矩(なおのり)(15万石)、以下はすべて譜代で、榊原氏2代(15万石)、本多氏(忠勝系)2代(15万石→5万石)、松平(大河内)輝貞(てるさだ)(7万2000石)、間部(まなべ)氏2代(5万石)と続いた。1720年(享保(きょうほう)5)に内藤弌信(かずのぶ)(5万石)が入り、以下内藤氏9代が明治維新まで続いた。1871年(明治4)の廃藩置県により、村上県を経て新潟県に編入された。

出典 講談社藩名・旧国名がわかる事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村上藩
むらかみはん

越後(えちご)国村上(新潟県村上市)に居を定めた藩。本庄(ほんじょう)藩ともいう。1598年(慶長3)越後国春日(かすが)山城主堀秀治(ひではる)の与力(よりき)大名として加賀国(石川県)小松から村上頼勝(よりかつ)(義明)が入り、9万石を領したが、1618年(元和4)忠勝のとき改易されると、堀直寄(なおより)・直定(10万石)の外様(とざま)大名が在封。1642年(寛永19)堀氏除封後は一時幕領。1644年(正保1)より本多忠義(10万石)、1649年(慶安2)より松平直矩(なおのり)(15万石)、67年(寛文7)より榊原政倫(さかきばらまさとも)・勝乗(かつのり)(15万石)、1704年(宝永1)より本多忠孝(15万石)、9年本多忠良(5万石)、10年より松平(大河内(おおこうち))輝貞(てるさだ)(7万2000石)、17年(享保2)より間部詮房(まなべあきふさ)(5万石)、20年より内藤弌信(かずのぶ)(5万石)と相継いで家門・譜代(ふだい)大名が在封した。内藤氏は以後、信輝、信興(のぶおき)、信旭(のぶあきら)、信凭(のぶより)、信敦(のぶあつ)、信親、信民と8代続いて1871年(明治4)廃藩、村上県を経て新潟県に編入された。[松永克男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

村上藩の関連キーワード小田長四郎(初代)本庄藩(村上藩)岡村九左衛門大河内輝貞鎧潟干拓地中条[町]鳥居三十郎五十嵐又碩小田部三平江坂与兵衛内藤信民内藤信輝青砥綱義内藤信美内藤信凭小島盛可中ノ口川島田篁村川合又吉内藤信旭

今日のキーワード

跋扈

[名](スル)《「後漢書」崔駰伝から。「跋」は越える意、「扈」は竹やな》魚がかごを越えて跳ねること。転じて、ほしいままに振る舞うこと。また、のさばり、はびこること。「軍閥の跋扈」「悪辣な商売が跋扈する...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android