日本歴史地名大系 「国府寺村」の解説 国府寺村こうでらむら 兵庫県:姫路市旧飾磨郡地区国府寺村[現在地名]姫路市京口町(きようぐちまち)・城東町(じようとうまち)・城東町竹之門(じようとうまちたけのもん)・城東町毘沙門(じようとうまちびしやもん)・城東町中河原(じようとうまちなかがわら)・城東町清水(じようとうまちしみず)・城東町野田(じようとうまちのだ)・城東町京口台(じようとうまちきようぐちだい)・睦町(むつみちよう)飾東(しきとう)郡に所属。姫路城東の外曲輪の東、東市郷(ひがしいちのごう)村の西に位置する。この辺り一帯は平安時代に志深(しじみ)庄とよばれていたという。天正二年(一五七四)の播州古所伝聞志(智恵袋)に「志深薬師寺」の記述があり、薬師寺を国府寺といい、やがて村名となったという。江戸時代以前は惣社(射楯兵主神社)近くまでを国府寺村と称したという。「峯相記」に「志深庄国府寺事、(中略)志染(深)ニテ国務ヲ行ケリ、志染国符(府)此地也」とあり、播磨国府が志深庄にあったとする有力な史料とされる。播州巡考聞書(智恵袋)は志深庄について「東ハ道辻社を限、前ハ英保芝岸限、北ハ月岡、西ハ府東薬師より西へ四丁を限るよし、境庄」と記しており、相当広範囲であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by