志深庄(読み)しじみのしよう

日本歴史地名大系 「志深庄」の解説

志深庄
しじみのしよう

美嚢みの川の支流志染しじみ川流域に展開する中世の庄園で、現志染町一帯に比定される。志染・志深見とも書く。細川ほそかわ庄と同じく蓮華心れんげしん(現京都市右京区)領。皇室領として大覚寺統へと伝領される。もとは国衙領志深保であったが、承元二年(一二〇八)一〇月九日にはその一部が三位兵部卿成家(藤原定家の兄)領志深庄となっていた。天福元年(一二三三)一月には庄民三〇人余りが日吉神人となって庄家に抗するという事件が起きている(以上「明月記」)。永仁三年(一二九五)正月日の大部庄百姓等重申状(東大寺文書)によると、近年寺側は大部おおべ(現小野市)南東約一〇キロに位置する志深保の垂水繁昌雑掌に起用したが、供米を納めなかったため、永仁二年一〇月に改易した。このため繁昌は同月二九日から一一月三日にかけて悪党多数を引連れ庄内に打入り略奪を行っている。嘉元三年(一三〇五)七月二六日の亀山上皇仏事用途定文案(亀山院崩御後仏事記)には志深庄の負担は五千疋(五〇貫文)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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