国府寺町(読み)こうでらまち

日本歴史地名大系 「国府寺町」の解説

国府寺町
こうでらまち

[現在地名]姫路市国府寺町

姫路城東の外曲輪に位置する町人町壱丁いつちよう町の東で外京そときよう口門の内側にあり中央を東西に山陽道が通る。慶長六年(一六〇一)の町割までは国府寺村のうちで、かつては国府寺家の所領であったという(大正八年刊「姫路市史」)。同家は中世には志深しじみに政所を置いて国務を執りさらに志深五ヵ村を領していた。邸宅は城地付近にあったと伝え慶長一四年ほん町に土地を与えられたという(同書)。もとひめ山山麓に居住したが池田輝政の総縄張りで国府寺村の一里山麓(外京口門内)に移り、そのあと壱丁町を経て本町の街道筋に居を構えたともいう(姫路城史)。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図には「符寺町」と記され、外京口門近くに桜谷おうこく寺がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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