国松村(読み)くにまつむら

日本歴史地名大系 「国松村」の解説

国松村
くにまつむら

[現在地名]寝屋川市国松町・川勝かわかつ町・さいわい町・三井が丘みいがおか五丁目・三井南みいみなみ

寝屋川上流右岸に位置する。西は平池ひらいけ村。東部は丘陵地で西部は平坦地。西部には枚方ひらかた(河内街道)が南北に通る。集落は丘陵地西の山麓斜面にある。最高所は標高約六四メートルの寺山てらやまで、付近から土器出土した。平坦地部分には条里制の遺構がある。

古代には茨田まんだ郡に属したが、天正一二年(一五八四)一一月の河内国御給人御蔵入之内より出米目録(中之島図書館蔵)讃良さらら郡のうちに「百七石 木村弥一右衛門(吉清)知行 国松」とみえ、注記に三一石九斗五合出米とある。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高一三〇石、小物成として山年貢米三斗余。


国松村
くにまつむら

[現在地名]筑波町国松

筑波山西麓に位置し、山根筋やまねすじ道に沿う。北は大嶋おおしま村。字台山だいやまには国松古墳群があり、直刀・玉・土師器須恵器が出土。

弘安大田文の筑波郡北条ほうじように「国松五十七丁一段三百歩」とあり、嘉元大田文にも同様に記される。江戸時代には山根八ヵ村の一つで、領主神郡かんごおり村に同じ。村内は上宿かみじゆく・中宿・上坪かみつぼ・下坪・ひがし坪・西坪・台山坪・くぼ坪・椎木しいのき坪・新田しんでん坪・山際やまぎわ坪に分れる(新編常陸国誌)。文化七年(一八一〇)の国松村品々書上差出帳(青木芳郎文書)によれば村高七六二・七五一五石のうち田方四九四石余・畑方二六八石余。家数六二・人口二九九。明治五年(一八七二)の国松村取調書上帳(同文書)では村高七七八・七三六石、家数七四・人口五〇〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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