国連緊急軍(読み)こくれんきんきゅうぐん(その他表記)United Nations Emergency Force; UNEF

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国連緊急軍」の意味・わかりやすい解説

国連緊急軍
こくれんきんきゅうぐん
United Nations Emergency Force; UNEF

1956年のスエズ動乱の際,カナダの L.ピアソン外相,D.ハマーショルド国連事務総長らの努力により,エジプトへ派遣された国連軍。国連の緊急特別総会は同年 11月5日,国連軍を現地に派遣し,停戦や外国軍隊の撤退を監視させることを決議した。これに基づき,カナダなど 10ヵ国から提供された兵力約 6000人をもって国連軍を編成,スエズ地帯などに派遣した。のちに兵力が縮小されたが,エジプトの要請により,67年5月に撤退するまで交戦国軍隊の間に立って外国軍隊撤退の促進,捕虜の交換,国境線の監視などで活躍した。同軍は国連の最初の平和維持軍 PKFであり,その経費は国連加盟国に割当てられた。しかし,ソ連などがそれに反対し,結局アメリカが負担する割合が高くなった。 73年の第3次中東戦争の結果,新たな国連緊急軍 UNEF IIが6ヵ月の期限,兵力 7000人で編成,エジプトとイスラエルに配置された。その任務は国連安保理事会によって定期的に更新されていたが,79年7月に消滅した。

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世界大百科事典(旧版)内の国連緊急軍の言及

【国連軍】より

…紛争拡大の防止,監視や,停戦,治安の維持活動は,紛争地域を国連の管理下に置くことによって,大国間の冷戦構造に巻き込まれまいとする,ハマーショルド事務総長が構想した防止外交の一翼を担うものであった。1956年のスエズ動乱に際しての国連緊急軍(1967年まで),60年のコンゴ内乱に派遣されたコンゴ国連軍(1964年まで)をはじめとして,62年の西イリアン国連平和軍,67年のキプロス国連平和維持軍,73年にシナイ半島に送られた第2次国連緊急軍,74年のゴラン高原の国連兵力分離監視軍,78年のレバノン国連暫定軍,82年のレバノン国連監視軍などが冷戦下でのおもな事例である。いずれの場合にも,強制型国連軍と異なり,その派遣については受入側の同意を前提とし,その指揮は国連事務総長がとる。…

【中東戦争】より

…英仏両国は,30日エジプト,イスラエルに対し,停戦およびポート・サイドなどの英仏軍による一時駐留などの最後通牒を発し,エジプトが拒否するや,英仏軍はエジプト侵攻を開始し,11月6日ポート・サイドを占領した。一方,10月31日招集された安保理事会が英仏の拒否権で麻痺(まひ)すると,11月1日国連緊急総会が開かれ,2日停戦決議が採択され,4日には国連緊急軍(UNEF)の設置が決定した。イギリス,フランス,イスラエル3国は米ソをはじめ国際世論の非難を浴びて孤立し,ついに停戦・撤兵に同意した。…

【平和維持活動】より

…しかし,平和維持活動という新しい言葉が使われるようになったのは,平和維持軍と呼ばれる,より規模の大きい部隊編成の軍隊が現地介在のために用いられてからのことである。1956年のスエズ動乱のさいに,国連総会の決議にもとづいて派遣された国連緊急軍(UNEF)は,この種の平和維持活動の先例となった。その後,60年のコンゴ紛争にさいして派遣された国連軍(ONUC),62年西イリアンにおける国連の暫定統治の一翼を担った国連保安軍(UNSF),および64年キプロス内戦に対して派遣された国連平和維持軍(UNFICYP),さらに73年の第4次中東戦争にさいしてシナイ半島とゴラン高原にそれぞれ派遣された第2次国連緊急軍(UNEF II)と国連兵力分離監視軍(UNDOF),および78年に南レバノン派遣の国連暫定軍(UNIFIL)は,いずれもこの系列のものであり,冷戦後の92年の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC),国連ソマリア活動(UNOSOM),旧ユーゴへの国連保護軍(UNPROFOR),国連モザンビーク活動(ONUMOZ)などのPKOもこの型に属する。…

※「国連緊急軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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