スエズ動乱(読み)スエズどうらん(英語表記)Suez Canal Crisis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スエズ動乱」の意味・わかりやすい解説

スエズ動乱
スエズどうらん
Suez Canal Crisis

1956年にスエズ運河の管理などをめぐって発生した武力紛争。同年7月アメリカとイギリスエジプトアスワン・ハイダム計画への援助の約束を取消すと,エジプトの G.ナセル大統領は同月 26日スエズ運河会社の国有化を宣言した。同会社の二大株主であるイギリスとフランスは国連安全保障理事会に提訴した。 10月 12日のイギリス,フランス,エジプト3国外相会議でスエズ運河利用の6原則について合意ができたが,運河を国際管理下におく案は安保理事会におけるソ連の拒否権によって葬られた。同月 29日にイスラエル軍がエジプトへ侵入し,翌 30日にイギリス=フランス軍がスエズ運河に進撃するとともにエジプト爆撃を始めた。そこで国連の緊急特別総会が開かれ,11月2日に,即時停戦とイスラエル軍,イギリス=フランス軍の撤退を要求する決議案採択,さらに同月5日に国連緊急軍を派遣することをも承認した。同日から6日にかけて,エジプト,イスラエル,イギリス,フランスの関係4ヵ国が停戦に同意する意向を表明した。カナダなど 10ヵ国から送られた国連緊急軍は 11月 15日から到着しはじめ,3国軍の撤退への道を開いた。イギリス=フランス軍は 12月までに撤退を完了したが,イスラエル軍の撤退完了は翌 57年3月であった。

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百科事典マイペディア 「スエズ動乱」の意味・わかりやすい解説

スエズ動乱【スエズどうらん】

スエズ戦争とも。1956年英・米両国のアスワン・ハイダム建設援助計画撤回を機に,エジプトのナーセル大統領はスエズ運河国有化を宣言。これに反対して英・仏・イスラエルが出兵したが,国連の停戦決議やソ連の警告など国際世論に押され,1957年完全撤兵した。中東戦争の一局面をなす。
→関連項目ガーディアン国際連合

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世界大百科事典(旧版)内のスエズ動乱の言及

【スエズ運河】より

… すなわち,1956年エジプトはスエズ運河収益をアスワン・ハイ・ダム建設費に当てるため,スエズ運河国有化を宣言した。スエズ運河会社の大株主であった英仏はこれに反発し,イスラエルを語らってスエズ運河地帯に出兵した(第2次中東戦争またはスエズ動乱)。しかし,英・仏・イスラエルは国際世論の憤激に屈して撤兵したため,エジプトはようやくスエズ運河の主権を回復した。…

【中東戦争】より

…イスラエルはティラン海峡通過を認められることになった。一般にはスエズ戦争またはスエズ動乱と呼ばれ,イスラエルはシナイ作戦と呼んでいる。
[第3次]
 スエズ戦争によってナーセルは一躍アラブの英雄となり,ナーセルのパン・アラブ主義は1958年にエジプト,シリアのアラブ連合(アラブ連合共和国)結成によって絶頂期を迎えた。…

※「スエズ動乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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