精選版 日本国語大辞典 「国連軍」の意味・読み・例文・類語
こくれん‐ぐん【国連軍】
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国連軍とは、国連の目的のために、その統制の下に使用される軍隊をいう。「国連軍」という名称は、国際連合憲章上の用語ではなく、場合により異なる意味に使われている。
第一に、国連憲章が第7章に規定している兵力、すなわち侵略や平和の破壊に対して国連がとる強制行動に用いられる軍隊をいう(第42条)。この軍隊は、国連自身が保有する常備軍ではなく、加盟国の陸・海・空の兵力によりそのつど編成され、国連の使用にゆだねられる型のものであるが、安全保障理事会と加盟国の間に締結される協定(特別協定)によって、各国が国連に提供する兵力の種類や数をあらかじめ約束しておく事前の準備体制が予定されていた(第43条)。しかし、この兵力提供の取決めは、国連の発足後まもなく、大国間の対立を反映して早くも断念され、今日に至るまでどの国との間にも結ばれていない。このため、国連が当初予定した国連軍編成の即応体制は、いまだに実現をみないでいる。
第二に、米ソ冷戦下、1950年の朝鮮戦争の際、安保理事会の決議に基づき「北朝鮮の武力攻撃を撃退する」任務を帯びて組織された軍隊が「国連軍」とよばれた。しかし、この強制行動のための軍隊は、国連決議に基づくものではあったが、その実体は米軍を中心に組織され、軍事行動はアメリカが直接指揮をとったため、国連の統制下に置かれたものではない。その意味では、国連軍というよりはむしろ多国籍軍とよばれるべきものであった。ついで冷戦の解消後、90年の湾岸戦争に際して、安保理事会はクウェートに進攻したイラクに対して「必要なあらゆる措置をとる」ことを承認する決議を採択し、それに基づき多国籍軍による軍事行動がとられた。この多国籍軍の強制行動は、朝鮮戦争の時と同様、米軍を中心に組織され、国連の統制を離れて遂行されたが、もはや「国連軍」の名称は用いられなかった。
第三に、今日広く「国連軍」とよばれるのは、先に述べた強制行動のための軍隊ではなく、国連憲章が本来予定していたものとは基本的に性格を異にする、平和維持活動(PKO)の任務のための軍事組織(平和維持軍)である。この種の「国連平和維持軍」の原形となったのは、1956年のスエズ戦争の際、中東に派遣された国連緊急軍(UNEF)であった。その後、平和維持活動はコンゴ、キプロス、中東などの紛争解決に受け継がれ、国連活動として定着するに至った。平和維持軍は、紛争当事者の同意を基礎として、中立的立場で停戦や撤兵が円滑に実施されるのを助ける任務にあたる点で本来の意味の国連軍とは異なるが、国連事務総長が指揮をとり、国連機関の直接の統制下に置かれるという意味で、「国連軍」の名に値するものである。冷戦の解消により、国連の強制機能が復活した後も、平和維持軍の活用はますます増えている。国連平和維持軍は、88年にノーベル平和賞を受賞した。
[香西 茂]
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広い意味では国際連合の指揮下にある軍隊をいう。歴史上これに相当するものとしては国連平和維持軍(PKF)がある。1956年に起きたスエズ戦争の際,当事国の停戦監視のため派遣された国連緊急軍がこの原型となった。そのほか60年のコンゴ動乱時のコンゴ国際連合軍,国際連合キプロス平和維持軍(64年派遣),国連レバノン暫定軍(78年派遣)などがあり,冷戦の終焉後には急増した。また,朝鮮戦争(50~53年)の際の朝鮮国際連合軍(16カ国参加。アメリカが統一指揮)は,国連安全保障理事会の決議にもとづき編成され,国連の指揮下にはなかったが国連軍を名乗った。なお国連憲章が規定する正規の国連軍は,これまでに創設されたことはない。
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国際連合が国際平和と安全を維持する目的で組織する陸海空軍。国連憲章では,加盟国と安全保障理事会間の兵力援助提供に関する特別協定の締結を国連軍成立の前提とする。朝鮮戦争時の「国連軍」は厳密にはこれにあてはまらない。国連軍の名称は平和維持活動として派遣される軍隊にも用いられる。
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