世界平和と安全の維持を目的として国際連合が編成する国際軍隊。〈国連軍〉とは国連憲章上の正式な名称ではなく,その具体的な目的・構成・機能についても一定していないが,強制行動型国連軍(強制軍)と平和維持活動型国連軍(平和維持軍)とに大別できる。前者が国連憲章で集団安全保障体制の中軸として本来予定された国連軍である。
安全保障理事会は非軍事的措置(41条)が不十分であると判定した場合,必要な空軍,海軍または陸軍の行動をとることができる(42条)。この軍事的強制措置のための国連軍は国連固有の軍隊ではなく,安保理事会と各加盟国との〈特別協定〉(43条)に基づき加盟国の提供する兵力によって組織される。冷戦が展開するなかで大国間の政治的対立によって,現実に〈特別協定〉は結ばれてこず,予定した強制軍としての国連軍はこれまで存在していない。強制行動実施のため組織された唯一の例として,1950-53年の朝鮮戦争の際に派遣された朝鮮国連軍がある。しかし,これは本来予定された国連軍の変則的なものにすぎず,安保理事会決議の成立経緯や軍構成の内容およびその活動からみて,むしろ西側の同盟軍的国連軍と呼んだほうが適切である。
他方,後退した集団安全保障機能によるものとして,強制行動の任務をもたずに紛争地域の平和の維持を可能にする措置(平和維持活動)のための国連軍が1950年代以来編成されるようになった。紛争拡大の防止,監視や,停戦,治安の維持活動は,紛争地域を国連の管理下に置くことによって,大国間の冷戦構造に巻き込まれまいとする,ハマーショルド事務総長が構想した防止外交の一翼を担うものであった。1956年のスエズ動乱に際しての国連緊急軍(1967年まで),60年のコンゴ内乱に派遣されたコンゴ国連軍(1964年まで)をはじめとして,62年の西イリアン国連平和軍,67年のキプロス国連平和維持軍,73年にシナイ半島に送られた第2次国連緊急軍,74年のゴラン高原の国連兵力分離監視軍,78年のレバノン国連暫定軍,82年のレバノン国連監視軍などが冷戦下でのおもな事例である。いずれの場合にも,強制型国連軍と異なり,その派遣については受入側の同意を前提とし,その指揮は国連事務総長がとる。また,中小国の軍隊によって構成され,内政不介入の原則に立って,自己防衛以外の戦闘は自制しなければならない。国連とりわけ安保理事会自体が冷戦の場と化し,その平和維持機能を喪失していたなかで,平和維持活動型国連軍の役割は積極的に評価されるべきものであった。
冷戦構造崩壊後も強制行動型国連軍が結成されていないだけに,平和維持活動型国連軍の存在意義は大きい。1991年のイラク・クウェートの非武装地帯のためのイラク・クウェート監視団,92年の旧ユーゴスラビア民族紛争拡大阻止をめざしてクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナへ派遣された国連保護軍(1996年まで)など数多い。日本は国連中心外交を志向していたものの,憲法体制,国民感情および国際環境の条件から,〈国連軍〉としての平和維持活動に参加してこなかった。80年代には選挙監視のための公務員などの派遣は行われていたが,湾岸危機・戦争の際,日本の平和維持活動へのこうした取組みが国際的に大きな批判を呼ぶに至った。これを契機に,92年〈国連平和維持活動協力法(PKO協力法)〉が成立し,これにより,自衛隊や警察力をも含む平和維持活動への参加が行われるようになった。カンボジア,モザンビーク,96年のゴラン高原兵力引離し監視軍などへ自衛隊が派遣されている。
執筆者:星野 昭吉
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国連軍とは、国連の目的のために、その統制の下に使用される軍隊をいう。「国連軍」という名称は、国際連合憲章上の用語ではなく、場合により異なる意味に使われている。
第一に、国連憲章が第7章に規定している兵力、すなわち侵略や平和の破壊に対して国連がとる強制行動に用いられる軍隊をいう(第42条)。この軍隊は、国連自身が保有する常備軍ではなく、加盟国の陸・海・空の兵力によりそのつど編成され、国連の使用にゆだねられる型のものであるが、安全保障理事会と加盟国の間に締結される協定(特別協定)によって、各国が国連に提供する兵力の種類や数をあらかじめ約束しておく事前の準備体制が予定されていた(第43条)。しかし、この兵力提供の取決めは、国連の発足後まもなく、大国間の対立を反映して早くも断念され、今日に至るまでどの国との間にも結ばれていない。このため、国連が当初予定した国連軍編成の即応体制は、いまだに実現をみないでいる。
第二に、米ソ冷戦下、1950年の朝鮮戦争の際、安保理事会の決議に基づき「北朝鮮の武力攻撃を撃退する」任務を帯びて組織された軍隊が「国連軍」とよばれた。しかし、この強制行動のための軍隊は、国連決議に基づくものではあったが、その実体は米軍を中心に組織され、軍事行動はアメリカが直接指揮をとったため、国連の統制下に置かれたものではない。その意味では、国連軍というよりはむしろ多国籍軍とよばれるべきものであった。ついで冷戦の解消後、90年の湾岸戦争に際して、安保理事会はクウェートに進攻したイラクに対して「必要なあらゆる措置をとる」ことを承認する決議を採択し、それに基づき多国籍軍による軍事行動がとられた。この多国籍軍の強制行動は、朝鮮戦争の時と同様、米軍を中心に組織され、国連の統制を離れて遂行されたが、もはや「国連軍」の名称は用いられなかった。
第三に、今日広く「国連軍」とよばれるのは、先に述べた強制行動のための軍隊ではなく、国連憲章が本来予定していたものとは基本的に性格を異にする、平和維持活動(PKO)の任務のための軍事組織(平和維持軍)である。この種の「国連平和維持軍」の原形となったのは、1956年のスエズ戦争の際、中東に派遣された国連緊急軍(UNEF)であった。その後、平和維持活動はコンゴ、キプロス、中東などの紛争解決に受け継がれ、国連活動として定着するに至った。平和維持軍は、紛争当事者の同意を基礎として、中立的立場で停戦や撤兵が円滑に実施されるのを助ける任務にあたる点で本来の意味の国連軍とは異なるが、国連事務総長が指揮をとり、国連機関の直接の統制下に置かれるという意味で、「国連軍」の名に値するものである。冷戦の解消により、国連の強制機能が復活した後も、平和維持軍の活用はますます増えている。国連平和維持軍は、88年にノーベル平和賞を受賞した。
[香西 茂]
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広い意味では国際連合の指揮下にある軍隊をいう。歴史上これに相当するものとしては国連平和維持軍(PKF)がある。1956年に起きたスエズ戦争の際,当事国の停戦監視のため派遣された国連緊急軍がこの原型となった。そのほか60年のコンゴ動乱時のコンゴ国際連合軍,国際連合キプロス平和維持軍(64年派遣),国連レバノン暫定軍(78年派遣)などがあり,冷戦の終焉後には急増した。また,朝鮮戦争(50~53年)の際の朝鮮国際連合軍(16カ国参加。アメリカが統一指揮)は,国連安全保障理事会の決議にもとづき編成され,国連の指揮下にはなかったが国連軍を名乗った。なお国連憲章が規定する正規の国連軍は,これまでに創設されたことはない。
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国際連合が国際平和と安全を維持する目的で組織する陸海空軍。国連憲章では,加盟国と安全保障理事会間の兵力援助提供に関する特別協定の締結を国連軍成立の前提とする。朝鮮戦争時の「国連軍」は厳密にはこれにあてはまらない。国連軍の名称は平和維持活動として派遣される軍隊にも用いられる。
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