日本大百科全書(ニッポニカ) 「国領五一郎」の意味・わかりやすい解説
国領五一郎
こくりょうごいちろう
(1902―1943)
日本共産党創立期の指導者。明治35年12月20日、京都の西陣(にしじん)織物職人の家に生まれる。小学校卒業とともに織物工となり、働きながら独学。1920年(大正9)18歳のとき友愛会京都連合会に加入し、翌21年7月執行委員。そして22年、創立直後の日本共産党に入党した。総同盟分裂後、25年5月に日本労働組合評議会に加わり運動を指導し、28年(昭和3)2月にモスクワで開かれたプロフィンテルン第4回大会で日本代表として報告。同年5月に帰国し、三・一五事件後の党再建に尽力したが、10月に逮捕された。31年の三・一五=四・一六統一公判で労働運動分野を担当して代表陳述。懲役15年の刑を受けたが節を屈しなかった。しかし健康を破壊され、昭和18年3月19日、堺(さかい)刑務所の病舎で死去した。京都市左京区黒谷に碑がある。
[梅田欽治]
『『国領五一郎・山本懸蔵著作集』(1963・日本共産党中央委員会出版部)』