朝日日本歴史人物事典 「土倉庄三郎」の解説
土倉庄三郎
生年:天保11.4.10(1840.5.11)
明治期における吉野林業および日本林業の先覚者,指導者。父祖の代からの吉野地方有数の大山林地主。大和国(奈良県)吉野郡川上村大滝に生まれる。幼名亟之助。伊香保,奈良公園,但馬,滋賀県塩津,台湾などの植林,あるいは『吉野林業全書』(森庄一郎著)の校閲や森との共著『林政意見』(1899)などによって伝統的吉野林業技術を普及させ,近代的造林学の発展に貢献した。奈良県有数の資産家であって,明治政府要人と親密な関係を結ぶとともに自由民権運動に共鳴して板垣退助,景山(福田)英子らと交わった。板垣の洋行費を負担したとの説がある。また同志社大,日本女子大の創設に際し多額の設立基金を寄付した。<参考文献>土倉祥子『評伝土倉庄三郎』,赤羽武他「『吉野林業全書』解題」(『明治農書全集』13巻)
(赤羽武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報