土器野新田村(読み)かわらけのしんでんむら

日本歴史地名大系 「土器野新田村」の解説

土器野新田村
かわらけのしんでんむら

[現在地名]新川土器野新田どきのしんでん

村の西方を新川が流れる。東と北を下小田井しもおたい(現西枇杷島町)、東と南を下河原しもかわら村、西を須賀口すかぐち村・西堀江にしほりえ村と接する。地名の土器野は、ここで土器を製した故とする説もあるが、この辺は砂礫の地で、陶土を産出するような土地ではない。河原野かわらのが土器野になったのではあるまいか(西春日井郡誌)

寛文一一年(一六七一)には家数三二、男八四人・女五五人(寛文覚書)。田は三町四反四畝弱、畑は九町六反三畝余で、概高は七一石余(徇行記)。寛永(一六二四―四四)の頃は須賀口村のうちであったといい(尾張国地名考)、源右衛門・忠兵衛という者の先祖が開墾したが、その年代は不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む